先日、所用で仕事を休んで出かけるために志染駅に行った時のこと。
保線さんが線路で作業をしているのを見ました。
こう言うのを見ると『ぼくはでんしゃ』の「電車は一人じゃ走れない~♪」のフレーズを唄いたくなりますね。
今の時期はまだ過ごしやすいですが、夏は炎天下の中で汗を滝のように流しながら頑張る作業員の方には感謝したいと思います。
保線さんと言えば、昨日『おとな会~オトナ度ちょい増しTV~』の「おとなワーカー」のコーナーに阪堺電車の保線さんが出てました。
阪堺電車は大阪で唯一の路面電車ですが、路面電車もアスファルトの下にレールと枕木が埋まっているので、アスファルトの上からその交換時期を見極めるのがとても難しいんだそうです。
番組内では20年に1度の軌道更新も撮影されていました。
深夜に作業をしてくれる人がいるから日中安全に運行できていることを忘れてはいけませんね(*^^*)
そして今日も『ビーバップハイヒール』に阪急電車と新幹線の並走ミステリーが出てました。
時は約50年前、東京オリンピック開催前年のこと。
国鉄は世界初の高速鉄道「新幹線」の開通工事を進めていました。
新幹線の命題、それは大阪~東京間をいかに早く走行するか。
少しでも早く走るために、可能な限り直線で線路を建設していました。
しかし、上牧~大山崎間は新幹線の線路を敷設する土地の余裕がありませんでした。
国道171号の移設を検討したものの、土地の買収には莫大な予算が必要で断念せざるを得ませんでした。
そんな中、白羽の矢が立ったのが阪急京都線でした。
その計画とは、地上を走る阪急京都線の真上に新幹線の高架線を建設するというもの。
新幹線開業は日本鉄道技術の夢でもあったため、阪急電鉄は国鉄の要請を受託。
新幹線高架線工事に着手しました。
しかし、新幹線の高架線を作ると地盤沈下を起こす可能性が浮上。
新幹線高架線の真横に阪急京都線の線路を敷くことになりました。
いざ新幹線の高架が出来ると、高架線で前方視界が遮られ、見通しが悪くなりました。
そこで、視界の確保のために阪急電車の線路も高架にすることに。
阪急電車の高架が出来るまでの間、新幹線の線路を阪急電車が走行することに。
それも、阪急電車と新幹線のレール幅が同じ(1435mmの標準軌)だったおかげなんです。
というわけで、新幹線の線路を最初に走ったのは阪急電車でしたというお話でした。
鉄道ファンの間では結構知られている話ですけど、SNSを見ていると意外と若い人は知らなくてビックリしました(^_^;
いや、そんなところで年齢暴露しなくてもいいじゃんとか言われそうですが(-_-;
粟生線も三木駅から粟生駅まで延伸する際の色々なエピソードがありますが、様々な歴史や人の思いがあって今の鉄道があることを忘れてはいけませんね。
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