最終回の今日は、新しい橋桁が設置された加古川橋梁の様子です。
小野~粟生間のバス代行に伴い、下りの粟生行きは全て小野止まりとなりましたが、
列車の行先表示は全て「粟生」と表示されていました。
4連直通化工事前の樫山駅。木製の電柱がいい雰囲気ですね。
架け替えの完了した新橋梁。クレーンの横には、永年に亘って重責を担ってきた旧橋梁が
2つに分割され、静かに佇んでいました。
架け替え工事の竣工も間近。軌陸車も登場して、最後の仕上げです。
撤去された旧橋梁は、貴重な産業遺産という事でその後美しく整備されました。
2003年3月からは、加東市の県立播磨中央公園内の歩道橋「播中おもいで橋」として、
第三の人(橋?)生を歩んでいるのは、嬉しい限りです。
明治時代の貴重な面影を残す「播中おもいで橋」。2003年03月の撮影です。
近くへお立ち寄りの際には、現地で明治時代の息吹に触れていただければと思います。
※「播中おもいで橋」については、整備にあたっての詳細な研究資料があり、今回の
記事の参考にさせていただきました。ここで改めてご紹介させていただきます。
「明治時代錬鉄製ポニーワーレントラス鉄道橋のレトロフィット」
加古川橋梁の架け替え工事の様子を撮られていたんですね。
いつもながら貴重な写真、ありがとうございます。
1か月ほど前に播磨中央公園に行きましたが、サイクルランドの方だったので、この播中おもいで橋にはあえませんでした。
知らなかったので当然ですが、知っていたら探していたことと思います。
どこかに残っているというのは嬉しいですね。
あおばさん、こんばんは。こちらこそいつもご覧いただき、ありがとうございます。
今回、移設時の貴重な記録資料として拝見させていただいた土木学会の資料によると、
加古川橋梁の3つの橋桁は、国鉄大糸線と水戸線で使用されてたものが、偶然粟生線で再開の上、
永年に亘り使用されていたもののようです。
遥か大洋の彼方から輸入された橋が、幾年もの時を越えて再開し、今も現役としてそれぞれ活躍を
続けているというのはとても喜ばしい事で、ちょっとロマンを感じますね。(^^)